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福井地方裁判所 昭和43年(わ)74号 判決 1969年8月07日

被告人 小林高次

昭七・二・三生 会社員

主文

被告人は無罪。

理由

第一、本件公訴事実

本件公訴事実は、被告人は福井市日光町一、〇三二番地所在宝パン工業株式会社の配達員をしているものであるが、昭和四三年四月一〇日午後六時四〇分ころ、同社所有の軽四輪貨物自動車を運転して、配達先から帰社の途中、同市米松町福井県木材市場付近道路で、知合いの岩佐こすみ(当一八年)を認め、京福電鉄新福井駅まで送るべく助手席に同乗させて進行中、同日午後七時三〇分ころ、同市河水町地籍の道路上で強いて同女を姦淫しようとしたが、同女の抵抗により姦淫できなかったことに憤激し、同所付近の道路上で同女の顔面を殴打し、足蹴にする等の暴行を加えて同女を路上に仰向けに転倒させ、さらに同女の身体をゆさぶり腹部を殴打する等の暴行を加え、ついに同女を道路際の用水に転落させ、よつて同女を用水中で溺死するに至らしめたものである(刑法二〇五条一項)、

というのである。

第二、当裁判所の判断

一、中島一英作成の電話聴取書(中略)によると、

昭和四三年四月一一日午後五時一〇分ころ、岩佐こすみ(当一八年)が、福井市寮町辺繰地籍の用水路に死体となって沈んでいるのを耕地整理の現場作業員によって発見され、直ちに警察官によって用水から引揚げられ、解剖に付されたがその結果、解剖着手時の同日午後一一時四〇分までに死後三〇時間を経過しており、死因は溺死であると推定されていること、死体には前頭部、右上眼瞼部、左下腿部、右足背部等に生前受傷したものと認められる皮下出血、挫創等、右側頸部から左側頸部にかけ長い圧痕傷と指頭痕傷の各損傷のあつたこと、以上の事実を認めることができる。

また、唐崎由美子の司法警察員に対する供述調書(中略)によると、被告人は昭和四二年三月二五日から昭和四三年三月一五日まで福井市米松町字久保田一三号九ノ二番地所在の白雲堂食品工業株式会社にパン製造工員として働き、その後同年三月二〇日からは本件で逮捕されるまで、同市日光町一、〇三二番地所在の宝パン工業株式会社で、パン配達の自動車運転手をしていたが、右白雲堂に勤務していたその間同会社の寮で生活し、同じ寮に起居していた同僚の右岩佐(以下被害者という)と親しくつきあっていたこと、証人富田たつの当公判廷における供述(中略)によると、被害者は昭和四三年四月一〇日午後六時三三分頃勤務を終えて右白雲堂工場を出発し帰宅するため京福電鉄新福井駅の方へ向って歩いて行ったこと、一方、証人京田音松の当公判廷における供述(中略)によると、被告人は同年四月一〇日午後五時頃パン配達のため軽四輪貨物自動車を運転して前記宝パン工場を出発し、順次得意先にパンを配達し、途中、中野静枝を同乗させて午後六時四一分ないし四八分頃迄の間に、同市上北野町所在の富田パーマ店に至り同所で同女をおろして再び同所を出発し、午後八時三〇分頃同会社へ戻つたこと、を認めることができる。

しかし、当裁判所が取調べた全証拠を検討しても、被害者の新福井駅の方へ歩いて行って後死体が発見される迄の間の行動及び、被告人の富田パーマ店を出発して後宝パン工業株式会社に戻る間の行動は全く不明で、公訴事実の如く被告人が被害者に暴行を加え、その結果死亡させたことを認めることはできない。

二、もっとも、検察官は、被告人の裁判官に対する勾留質問調書は任意性、信用性があり、他の状況証拠を総合すると、公訴事実を十分立証できると主張する。

しかし、右勾留質問調書の記載は、一応自白の形をとっていても、「お読み聞けの事実はそのとおり間違いありません。」という程度の極めて簡単なものであるから、これをもって起訴事実認定の証拠とすることは到底できないし、その指摘する情況証拠については、(イ)証人泊靖夫の当公判廷における供述によっても、同証人が、昭和四三年四月一〇日午後八時ころ福井市寮町の三差路で出会った軽四輪自動車が、被告人が当日運転していた軽四輪貨物自動車であったとまで断定することはできていないし、かつ、右自動車の型・外観等両車が類似しているという点については警察官の取調べの際に写真を見せられた結果も多分に影響していることは同証言自体の認めるところであるから信用性が薄いうえ、(ロ)被告人の運転していた軽四輪貨物自動車の荷台から採取された毛髪について、中村安作作成の鑑定書によると、うち一本の頭毛が被害者の頭毛と同一性があるというのであるが、証人中村安作の当公判廷における供述によると、右鑑定のために実施した検査では同一性の確率はかなり低いことが認められ、右鑑定の結果によって直ちに右頭毛が被害者のものであるということはできない。さらに、(ハ)犯行後血痕が付着した部分を内密に取替えて証拠の隠滅工作をしたと言うところの自動車の敷板一枚(昭和四三年押第三三号の一)について、被告人の当公判廷(第一〇回)における供述によると、被告人は昭和四三年四月一三日右敷板の端三枚を取替えたことを認め、その経緯につき、当日配達の途中で、敷板に猫か、何か動物の吐いたような物がついていたので拭いたがとれなかった、食品を運ぶのに不潔な板では気持が悪いので、取替えた趣旨の一応の説明をしている。水上憲治の司法警察員に対する供述調書によると、被告人は右水上に対し、敷板が割れたので取替えるのだと称して代金五〇円で板を買ったことが認められ、前記被告人の説明と喰違う点、ならびに、僅か五〇円とはいえ被告人の自費で会社所有の自動車の敷板を会社に無断で取替えねばならないほどの緊急な必要性があったとは考えられない点に照らして、前記被告人の説明を全面的に措信することはできないが、さりとて右説明を覆すに足る証拠も存在しない。単に被告人の供述に疑問があるというだけで、敷板に被害者の血痕が付着していたと推定することができないことはいうまでもない。(ニ)終りに、本件四月一〇日午後六時五〇分ころから午後八時三〇分ころまでのアリバイが不明であるとする点については、被告人の司法警察員に対する供述調書(四月一八日付)によれば、被告人は警察で最初パンの配達を終えて会社には午後七時三〇分ころ帰つたと述べたのであるが、時間が符合しないため、その間片町のニュースポーツパチンコ店でパチンコ遊びをしていた旨供述をかえ、さらに三転してNHK福井放送局前で二〇才位の女性を車に乗せ、足羽山に夜桜見物に行って同女と肉体関係を結び午後八時ころ会社に戻ったと供述をくつがえし、当公判廷(第九回)では女性を乗せて足羽山に行ったことはあるが肉体関係まではしなかったと述べていることが認められ、右時間帯の行動についてあいまいで一貫した説明を欠いていることは否定できないところであるが、右時刻における被告人の行動が明確でないとは言えても、そのことの故に、被告人を本件犯行と結びつけるまでの積極的資料とはなりえないことも明らかである。(ホ)検察官の主張するその余の情況証拠は、立証事項との関係があまりにも迂遠すぎ、証拠としてとるに足らない。

三、被告人の自白調書および刑事訴訟法三二二条として提出された録音テープの証拠能力について。

検察官は、被告人の司法警察員に対する供述調書一三通、検察官に対する供述調書六通、録音テープ三巻は、いずれも被告人が任意になした供述を録取したものであると主張し、弁護人は、司法警察員に対する供述調書および録音テープは連日昼夜にわたり、または深夜にまで警察官が二人がかりで無理な取調べをし、かつ、別件逮捕による取調べであったため、自白しないと再び別件逮捕されるかもしれないという心理的圧迫を受けた結果自白したものであり、検察官に対する供述調書は右の司法警察員に対する供述調書に基づいて作成されたものであるから任意性を欠くと主張した。

当裁判所は、第一一回公判期日に前記各供述調書を、第一三回公判期日に前記録音テープを、いずれもその任意性に疑があるとして却下し、その理由の概要は右各公判調書に記載されたとおりであるが、若干以下に補足説明しておく。

(一)  昭和四三年四月二八日以前の司法警察員に対する供述調書(すなわち、同月二二日付、同月二六日付及び同月二八日付各供述調書)および同日録取された録音テープ二巻について。

(イ) 被告人の当公判廷(第九回)における供述、証人水野等・同坂井甚之助の当公判廷における各供述(水野については第七回および第一〇回)、傷害被疑事件および強姦被疑事件についての被告人の司法警察員に対する供述調書各一通、看守勤務日誌、本件に関する逮捕状、勾留状を総合すると、

被告人は、昭和四三年四月一五日午後四時ころ、福井警察署から出頭を求められ、同署で午後一一時ころまで同月一〇日のアリバイをきかれ、翌一六日は午前七時三〇分ころから午後九時ころまで同様アリバイをきかれた後、酒井秀清に対する傷害被疑事件についての逮捕状を執行され、引続き右事件で勾留された。勾留期間満了の同月二八日になって本件について一部自白したのでこれを基礎としあらためて強姦致死被疑事件についての逮捕状により同日午後六時五〇分その執行を受け、同年五月一日右事件につき勾留され、同月一〇日には一〇日間の勾留期間延長が認められ、同月二〇日本件で起訴されたものである。そして、その間、四月一七日から同月二八日まで、被告人は毎朝八時過ぎから(午前七時過ぎからが二日ある)昼食、夕食時間のそれぞれ約一時間を除いて午後九時過ぎから一一時近くまで警部補坂井甚之助、巡査部長水野等の両名或いは一名から連日取調べを受けたが、傷害事件については被疑事実を認めていたので、通じて約二時間の取調べをうけ、同年四月一八日付の供述調書一通を作成しただけで、後述の青木輝江に対する強姦被疑事件の取調べに要した時間を除くその余の時間は、専ら本件についての取調べをうけていたこと、(ちなみに、取調べのため、福井警察署留置場を出房してから入房する迄の所要時間、すなわちほぼ取調べに要した時間は、同月一七日は一〇時間四九分、同月一八日は一一時間一六分、同月一九日は九時間一五分、同月二〇日は九時間三〇分、同月二一日は一〇時間四二分、同月二二日は一二時間一五分、同月二三日は一三時間一二分、同月二四日は八時間三〇分、同月二五日は一三時間、同月二六日は一二時間二三分、同月二七日は九時間五七分、同月二八日は八時間一七分となっている。)その間右坂井は取調べにあたり、被害者を拝んでやれと言って、被害者の生前の写真と数珠を被告人に手渡したこと、また、右水野は、昭和四一年一月ころにあった被告人の青木輝江に対する強姦被疑事件を持出して、四月二五日から二七日までの間の一日のうち数時間その取調べをなし、同月二六日に三枚からなる極く簡単な自白調書を作成したこと、以上の事実を認めることができる。

(ロ) 被告人は、右認定事実以外に、前記水野から取調べ中に、(a)四月二〇日ころ、正午迄の約三時間机の上に正座させられ、(b)同人の契印のある被害者の遺体写真や天然色の解剖写真をみせられ、(c)四月一八日ころ、喋らないことを怒って腰かけている椅子を足で蹴ってひっくり返すことを二、三回繰返されたことがあると訴えている。まず(a)の点については、証人水野は第七回公判廷で四月二〇日に被告人を取調べたことを認めながら、正座させたか否かの記憶がない旨非常にあいまいな供述をしていたのに、再尋問の第一〇回公判廷では、看守勤務日誌の記載を根拠に四月二〇日前後の午前中に取調べにあたったこと自体を否定し、正座させたこともないと明確に供述し、先きの証言時にはあがっていたので誤つた答えをした旨供述変遷の理由を弁解している。

しかし、取調中の被疑者を机上に正座させることは、捜査官として許されないいわば特異な事態であつて、取調官がその有無につき記憶がないなどと言うことは、本来あり得べからざることであり、右供述の変更はあがつていたので間違えたというような説明だけでは納得できないし、前記証人水野、坂井の各供述によれば、被告人の取調担当官は坂井・水野の二名で、両名が交互或いは同時に取調べに当つており看守勤務日誌の取調員名が何れであつたかは、被告人の取調べに関する限り必ずしも現実の取調官と一致していたとは認められないから、同日誌に水野の名がないことは四月二〇日前後の午前中に同人が被告人を取調べていないということにはならないので、結局被告人の主張する正座の事実は、時間の長短は別としてあつたのではないかとの疑が濃厚である。つぎに(b)の被害者の遺体写真の点は、これを添付した司法警察員番匠要作作成の捜査報告書が既に四月一二日に作成されており、解剖は四月一二日午前一時一〇分には終了し、福井警察署の係官も立会人となっていたことが記録上明らかであるから、鑑定書の作成をまたなくても遺体もしくは解剖の写真を被告人にみせることは不可能ではなかったといえる。ただこの点は(c)の暴行についてと同様水野証言(第一〇回公判廷)によって明白に否定されているので、被告人主張の真否はいづれとも断定しがたいが、前記被害者の生前写真や数珠を渡したり、正座をさせた疑が濃厚であった事実を参酌して考えると、その疑が完全に払拭されたものとはいえない。

(ハ)  以上の認定事実によると、警察は最初被告人に対し、本件(ないし強姦致死事件)について逮捕できるに足る証拠がなかったので、先ず傷害事件について逮捕状を求めて被告人の身柄を拘束し、その逮捕・勾留期間のほとんど全部を本件の取調べに充て、連日長時間ひたすら自白を求めて厳しく被告人を追求し、勾留期間が満了に近ずくのに容易に自白を得られないとみるや、二年有余も経た古い強姦事件をもちだしてその取調べを行ない、すでに、前記別件逮捕により困惑している被告人に対し、本件につき自白をしない限りさらに右強姦事件で別件逮捕されるかもしれないという暗黙の威嚇を与え、二八日にいたってようやく犯行の一部についての自白を得るにいたったものであって、前認定の取調時間、取調方法を併せ考えると、被告人に対しては、その取調の過程において、心理・肉体両面における強制・威迫があったということができる。

よって、四月二八日までの調書および同日付録音テープは、その供述の任意性に疑があるものとしてこれらを却下した。

(二)  四月二九日以後の司法警察員に対する供述調書(すなわち五月一日付、同月二日付、同月三日付、同月四日付、同月六日付、同月一一日付、同月一三日付、同月一九日付及び同月二〇日付)および五月一二日録取された録音テープ一巻について。

看守勤務日誌によると、取調時間は午後五時ないし六時過ぎに終了している場合が多く、午後九時ないし一〇時近くまで取調べのあった翌日は午前中の取調べを遅く始めるなどの考慮がなされていること、被告人も当公判廷で、この期間は以前のような無理な取調べはなく、通常の取調べであったと供述している。

しかし、右は被告人がそれまでの自白を維持した結果によるものであって、身柄拘束の根拠が本件(当時の被疑事件名は強姦致死)に変った以外は、取調官、取調べの場所も前と同一であり、時間的にも接着していることから、前項認定の無理な取調べの影響は消滅せず、そのまま継続している間になされた供述として、前同様その任意性に疑があるというべきである。

(三)  検察官に対する供述調書(昭和四三年四月三〇日付、五月七日付、同月一六日付、同月一七日付、同月一八日付及び同月一九日付)について。

被告人および証人安保晃孝の当公判廷における各供述によると、被告人の取調べにあたった検察官安保晃孝は、その取調べに際し、直接に強制、栲問又は脅迫を加えたことなく、その他同検事が、無理な取調べをしたことを認めるに足る証拠はない。

しかし、被告人は当公判廷において、検察官に対し従前の自白を覆えして否認すれば、再び警察に戻されて取調べられ、自白せぬ限りは別件で逮捕・勾留が繰返され身柄拘束がいつまで続くか分らない。それよりむしろ、一旦自白した以上は、自白を維持して早期に起訴され、裁判において否認すれば早く解決すると判断した結果、検察官に対しても、警察での自白を維持した旨供述している。そして、なるほど警察官から検察官へと取調官に変更があったとはいえ、同検事の取調べは警察での自白があった時から中一日おいての自白を含めて時間的に接近していることや、前叙のように警察では、別件(傷害)で逮捕勾留され、しかもその間二年余前の旧事件によりさらに逮捕勾留をするかも知れない暗示を受けた被告人にとって、右に供述するような心境で自白を繰返すことは、あながちありえないこととして一蹴し去る訳にいかないことなどから、警察での取調べにおける強要の影響が、検察官の取調べの際にも、なお依然として任意性を害する程度に残存していたのではないかと解されるところ、他に右因果関係を切断するに足る特段の事情を認める資料は一件記録上何も存在しない。

したがって、検察官は被告人に対し直接に強要を加えて自白させたものではないが、なおその供述の任意性に疑があるとして同調書を却下したゆえんである。

第三、結論

以上の理由により、本件全証拠によるも、本件公訴事実を認めることはできない。

よって、被告人に対しては犯罪の証明がないものとして刑事訴訟法三三六条により無罪を言渡すことにし、主文のとおり判決する。

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